某ハンバーガー屋さんののツイッター好きすぎて、プロモーションでみるんじゃなくてわざわざフォローしているくらいなんだけどAI動画が叩かれてるのは個人的に少し残念だなぁ…とは思う。
いやまぁ、いわゆるブキミの谷を越えられていないっていうのは理解できるんですけどね( ◜▿◝ )
でも…
ただ彼らのツイートを好んでみてた人間から少しだけ言わせてもらうと、彼らってきっとアーティストの事をすごく大切にしていて…広告の後の追加ツイートでわざわざアーティストさんのアカウント紹介とかやってるんですよ。だから多分これ…普通の企業みたいにアーティストに支払う費用をケチってAIで済まそう発想じゃないと思うんですよね。
AIについて色々言われている昨今、彼らほどの資金力があったら手描きのイラストレーターに問題なく依頼・確保できるし、今日の炎上リスク考えたらリスクの少ないそっちの方を選ぶのが当然だと思うんですよ。そこを敢えてAIアーティストに依頼したっていう事に対して僕はむしろ彼らのアートを発展させ、尚且つ芸術家(アーティスト)を保護していこうって気概…っていうかある種の挑戦を感じたんですよね。個人的に…個人的に…(※大事なことなので2回略)
正直私自身はオタクでもあるけどエンジニアでもあるんで、こういう技術はワクワクしちゃうし試したくなってしまう性格だし実際に試しています。
わたしはこの手のAI問題に関しては「アート」にとってどうなのかと「アーティスト」にとってどうなのか、加えて「決められたルールを守る」という規則と「AIそれ自体」の倫理を分けて考えるのがベターだと思っています。
個人的にはAIをどう倒したり規制したりするのかじゃなくてどうやって手描きの表現を守っていくか、そして困っているアーティストを助けられるかって視点で考えていければいいなと思っています。そしてすべての表現において言える事だけど、流行しているものを規制するのではなく廃れていくものを支援する形でその多様性の確保をすることが理想だと思います。
という訳で、今日のテーマはAIアートについてです。
ここから本題
「アート」に関わる議論と「アーティスト」に関わる議論は分けて考えたい。
前提:芸術とは何か?(AIは芸術ではないという意見について)
まず前提として、わたしはAIで作成された曲や絵画も芸術だと考えています。そもそも芸術とはなんなのか…という定義は難しいですが、個人的には「芸術(英訳すると”art”で、対義語は”natural”ですね。)とは人類の歴史の中で起こる模倣と組み換えの繰り返しである。」という定義が、わたしの中ではいちばんしっくりきています。
特に私たちの日本美術は、屏風や掛け軸、土器や漆器など、額縁の中ではなく生活の中に多く存在していました。私は自然ではなく人の生活や活動の中で生まれるもの…それは広義では芸術と呼べるのではないかと考えています。
そもそも「アートとは何か?」という議題は「美とは何か?」と一緒で美学とか唯名論実在論とかその辺の話、アートというイデアを探求する話になるので、少なくとも”コトバ”で答えを出せるものにはならないと思います。
なので「AIで作られた作品はそれだけで芸術・アートという枠組みの中から外れる」すなわち「AIで作られた作品はアートではない」という主張には同意できないですが、ただし法律的な「芸術」の定義はそれに加えて設定をするべきで、これは「アート」の発展ではなく「アーティスト(人間)」の社会生活の為に、彼らを守る仕組みとして議論をするべきだと思います。
以降、AIで作られた作品は芸術であるという前提の中で(或いは芸術とは何かというテーマは棚上げにして)話を進めます。
(1)アートとAI
「アート」にとってAIは有用かどうかというのは議論があると思うけど、少なくとも新しく出てきた技術や知識は取り入れていく方が自然だと思っています。AIを利用したアート活動は今までの安定を脅かす位に大きな荒波だというのはその通りだと思いますが、でもこういう芸術の流れを大きく変えるパラダイムシフトは過去に無かったかといえば…「ルネサンス」「写真の誕生」や「資本主義の誕生」、「大量生産・大量消費時代を迎えた後に資本主義を受け入れたポップアートの誕生」、特に生産速度の加速度的な上昇が今までの芸術を脅かすことになったであろう「印刷技術の誕生と革命」などがあったと思います。それらの放置をよしとしたい訳ではなくて、現代社会においてはその流れを崩さない程度に今までの「アート」を保護する仕組み、「アート」の多様性を保護する仕組みは当然あっていいと思います。でもでも、当局や法律の介入はその自然な流れを崩さない限度であるべきだと思います。個人的には「AIをどう倒すか」じゃなくて「従来のアートの多様性をどう保護していくか」を考えるべきだと思います。
(2)アーティストとAI
そして次に「アーティスト」にとってAIは有用かについてですが、これは現状ネガティブな面が多いと思います。この日本という資本主義社会の中で「アーティスト」は自身の食い扶持を確保するために自身のアートを貨幣に変換する必要があると思うけど、AIの急速な発展はアーティストの持つアートの貨幣価値を急速に下げる危険性があり、アート以前に人間である彼らアーティストの生活を守るため、彼らが生活できるようにするため、彼らが安心して活動できるようにするため、もっと言うと彼らのモチベーション維持のための政策は急務だと思います。
つまり少なくとも働き手や文化、産業保護のための政策として、アーティストは守っていくべきだと思います。
ここで「お金が絡むのは芸術ではない」或いは「お金のことを考えるなんて芸術の本質ではない」という反論もあるかもしれませんが、冒頭で述べたように私は人の生活の中で生まれるものが芸術だと思っています。すなわち、資本主義社会(消費社会)の中で生まれる芸術はお金が絡んでいる事が自然状態であると考えています。これはポップアートと呼ばれるものがその代表格だと思いますが、それに対峙する芸術を否定している訳ではありませんし。資本主義社会の中であってもそういうアートを保護する活動は政策の中で続けていくべきだと思います。
時代・自然の流れに逆らわない程度に、そういった資本主義社会との関りが少ない、或いは意図的に距離をおいているアート(特定の伝統美術など)は保護され、その多様性は確保されるべきだと思いますし。同様にAIを使わないアートについても、それを生み出すアーティストが生活に困らないようにしていく政策は必要だと思います。
その為のルールについて、これは言い換えると「競争のルール」だと思うんですけど、現行の国内の著作権法は明らかにAIを想定していないと思うので、変更していく必要はあると思います。
その辺は法律家さんに一生懸命頑張って欲しいですよね。例えば日本にもフェアユース概念を導入するかの議論はあってもいいと思います。
しかしながら、大原則は「疑わしきは罰せず」かなぁ…とは思う。「悪いヤツを捕まえられる利益、何もしていない無実の人(=我々)が被害を被る”可能性”」と「悪い事してない誰かが冤罪を被る不利益」を天秤にかけて優先されるのは後者だと思います。
人々の利益や平和の為に誰かを冤罪にすることは許されません。
「誰かを冤罪にする不利益」は「みんなが平和になる利益」よりも重く、冤罪は平和を犠牲にしてでも許してはいけません。
例えば、事実はどうであれ「AIで作成されたこと」というのが何かのレッテルとして機能する状態、
「AIで作成された」という事実だけをもって「それらのルールに違反した」と決めつける事は法やルールの拡大解釈であり、それは良くないと思います。
これはあくまで「悪いヤツを捕まえる利益」と「悪いことをしていない人が捕まる・不利益を被るリスク」の両者を天秤にかけて優先すべきは…という話で、蔑ろにしていいとは決して思ってはいません。
以上は大前提ですが…しかし善意悪意っていう法律の原則についてですけど、検索エンジンとかAIがロボットで絨毯爆撃網羅的に食べ放題して出力した結果が仮に「悪意なし」ってなるなら法律に明るくないわたしからすると若干不公平感があるとは思います。「問題に無関心な方が有利」というのは法律の良くないところですし、特にこのAIという時代を考えるとある程度チューニングするべきだな…と思います。あと、グローバル化への対応というか…生成AIモデル自体が作られているのが日本ではない事があって、例えばその制作過程(データ収集)に問題があるか無いかの判断に必ずしも日本の法律が使われる訳ではない点も難しいと思います。あと「生成モデルAIモデルを作る行為」と「生成AIモデルを使う行為」は切り分けて考えた方がいいかも。
そして「AIは一瞬で作れるからズルい」みたいな感情、或いはその大量生産性が社会に与える影響とか、「人間は考えることまでAIに委ねていいのか」みたいな話はとても難しいと思います。実際にわたしもLoRA作るんですけど…これ確かに人が絵を勉強する工程と類似するところはあるんですよね。一方で今、困っているアーティストさんの意見、彼らがどうやってイラストを学んできたかなんかもきくべきだと思います。
(3)クリエイターさんの抱える不安の話。
(もちろんこれも賛否はありますが)特に日本国内の技術者と呼ばれる人・経済界の人・法律家・政治家(クリエイター以外の多くの人と言い換えられるかもしれません)はWinny事件に対して、判断ミスをしたかもという自責や被った損失へのトラウマがある気がするので、この人たち…つまり日本全体としては世界に比べてAI推進の道に舵をきるだろうなぁ…とわたしは予想します。翻って、これに対するクリエイターの感じるAIや「それを推進する人々」に対する不安や恐怖は高いんだろうなと思います。
あくまで参考に「音楽制作とAIの話」は「イラストとAIの話」のちょっと前からあったかも
さらに余談ですが、歳くってる人間から言わせてもらうと、初音ミクちゃんという元祖AI歌唱ソフトがリリースされたときの衝撃は今でも覚えているんです(※最初…というか最近のV6やNT以前の初音ミクは厳密にはAIではないんだけど、「機械に仕事を奪われる」というテーマで話を続けます。)
今までは雇うなり口説くなりで歌ってくれる人を募集しなくちゃいけなくて、それは駆け出しのアーティストなんかにはハードル高いんですよ。それがどんな歌でも歌ってくれるミクちゃんの登場で日本の音楽シーンは一気に花開きました。ある程度のスペックのPCさせあれば、歌う人を雇わなくてもアマチュアが音楽を作って発表できるようになったんですよね。
もちろん…ミクちゃんが歌を生業としている人の仕事を奪ったってケースはゼロではないと思うんですが、ほとんどのケースは「今まで歌う人を雇えなくて発表できなかった人」「初音ミク及びそのAI歌唱ソフトに心酔している人」のいずれかのような気がします。
もちろん、この当時も「機械に歌わせた歌?」みたいな批判は多かったです。中には今のAIイラストへの批判と同様に「気持ち悪い」という生理的な嫌悪感を抱き、わざわざそういった感情論や感想を伝えてくる人までいました。
ボーカロイド(広義)をはじめ他にもアマチュアはマスタリングAIを使う人が沢山いますし、もっと遡ればコード進行と著作権の話とか…音楽についてはイラスト業界より少し前にAIと対峙する場面に遭遇しており、今AIイラストに関して起こってるものと似たような議論や批判は音楽畑では多くありました。完全に類似しているとは言いませんが、この経験から学べる事は多くあると思います。
AIが「創作のゆりかご」として社会に寄与するメリットはある
ボカロのムーブメントと同様に、例えば今までイラストレーターさんに依頼できるような資金やコネのなかった人がAIイラストによってゲームや動画を出せる世の中にはなっていくと思います。
もちろんAIイラストの悪い影響(デメリット)に関する議論はしていかなくてはいけないと思うのですが、今まで規模やリソースが原因で作品を作れなかったアマチュアが発表できるようになる…つまりAIが「創作のゆりかご」として寄与していくメリットは大きのかなと思います。
(ボカロ同様、この人たちは規模が大きくなったらイラストをイラストレーターさんに依頼するようになるかもしれないですし…もしかしたらAIに心酔していくかもしれませんが。)
最後に
これは色んな対立で言われている事ですけど、やっぱりこういうゴダゴダの原因はやっぱり「無理解」なんですよね。
「AIについてあまり勉強しないでAIを批判する」とか「イラストレーターさんのお仕事についてあまり勉強しないでイラストレーターさんを批判する」というのが一番よくないと思います。
わたしたちはこの「新しい技術」や「イラストレーターさんの置かれている状況」対して、そして「ルールや法律の成り立ち」について日々勉強をしていくべきです。
加えて、後手に回らざるを得なくて今まさに困っている人を助けるのが難しいというのは法律やルールの大きなデメリットだとは思いますが、
このデメリットを最小限にする手段はどちらか一方ではなく、お互いがお互いを理解する姿勢と勉強の継続だと思います。
わたしはこれらについて、これからも継続的に勉強していく事を決意し宣言をします。
まとめ
・AIは芸術か芸術でないかといえば芸術だと思う。
・アートの多様性を確保する政策は重要。
・アートを生み出すアーティストを保護する政策も重要。
・「AIをどう倒すか」じゃなくて「従来のアートの多様性をどう保護していくか」を考えるべきだと思う。
・大切なのは相互理解、ダメなのは無理解。双方の勉強をして、双方の気持ちに寄り添うことが必要。