映画版「DEATH NOTE」の月パパのセリフが好きだって話。

おはよー!!、今日(9月13日)は「法の日(世界法の日)」だそうです。
ところでわたしは『DEATH NOTE(金子修介監督.2006年)』という映画で夜神総一郎(夜神月のパパ)の言ったセリフが好きです。

「法律は完全じゃない、作った人間が完全じゃないから完全であるはずはない。だが、正しくあろうとした人類の努力の積み重ねが法律だ。」

…わたしはこのセリフにしびれちゃいました><;
中二病を患ってた時に「法律は強者が作ったもので弱者を救えない」って強く考えてしまって、その後遺症がしばらく続いていたんですが、このシーンをみて少し考えを改めるようになりました。

このシーンはアニメだと有名な「粉バナナ」のシーン。
「DEATH NOTE」はわたしの周りの年齢(?)では知らない人はいない位の作品なんだけど、今は知らない人も多い作品ですよね💦
ストーリーを簡単に説明すると天才的な頭脳と正義感をもつ、藤原竜也さん演じる主人公が世の中に絶望して、偶然手に入れた人の死を操れるという超人的な力のあるノートを使って世界を変えていこうとする話です。
主人公は独善的で人を紙屑のように捨てていくダークヒーローなんですが、一方で純粋に世の中をよくしていこうとする正義感を持っています。

ただ正義は対立する側にとっての悪とはよく言ったもので、そのジャッジを絶対的な権力者である主人公ただ一人の感性に委ね、加えて人の行動を恐怖で支配する…というのはひどく歪んだ状態ですが、一方で彼はこれまでの世の中では救う事のできなかった多くの弱者に救済を与えます。
正にカリスマ的リーダーシップが持つ悪魔的な魅力を体現したともいえる主人公です。

法律という仕組み故の慎重さとスピード感の無さに対する絶望は、世の中の誰もが感じたことがあるはずですし、自分がその被害者だと思っている人も沢山いると思います。
わたしは昔、いじめとかそういうのが身近だった時期があって…今泣いているそういう人たちを救えない法律というものに大きな不満を持っていました。

これに対する答えは難しいですが、わたしは冒頭の総一郎(主人公の月のパパで、刑事さん)のセリフ、特に「人類の努力の積み重ね」というところにとても感化されました。
確かに法律の始まりは強者が弱者をコントロールするためであったかもしれませんし、今でのそういう部分はあるのかもしれません。
だから完全ではないんだけど、ここで築き上げてきたものを全否定するのはもったいないかな…と。
どうしようもない悪人を法律で守る必要があるのか…というテーマは、同じく藤原竜也さんが出演されていた「藁の楯」でもありましたよね。
こっちはもっと胸糞な感じなんですが…そう言うの好きな方はこちらも是非。

そしてこの「DEATH NOTE」は原作のマンガも面白いし、実写映画版もとても面白いので是非。
ただマンガなのに文字が多くてちょっと疲れます…(:3 」∠ )

加えて、賛否が分かれますが、ドラマ版もわたしは擁護派です。
原作及び映画では主人公のカリスマ性が強調されて粉バナナ(終盤のシーン)まで【人間味】というのは余りないのですが、ドラマ版は頭がいい(?)だけの大学生が大量破壊兵器手に入れちゃった感があってデスノートの持つ悪魔的な魅力や怖さを強調する内容になっていて、デスノートを手に入れちゃった【人間】が陥る狂気というものが上手く表現できていると思います。
(もちろん原作の魅力がベースですが)個人的には良アレンジ(別バージョン)になっている作品だなと感じました。

名前だけ聞いたことある…って方、よければ。

話しはそれますが、「スピード感の無さ」の解消策として、いよいよ司法へのAI導入というのが現実味を帯びている気はしますよね。(NIKKEのエニックみたいなヤツ)
判例主義に立てばインプットとアウトプットに限界がある人間よりも、そこをコンピューターに任せる事の優位性や公平性はあると思いますが、やはり理解できないものや未知の者への恐怖といいますか…やっぱなんとなく怖いと思ってしまいますよね。

AIは集合知の結晶であるとも思いますが、とくにわたしはなんでも擬人化しちゃうような性格なので「なにか強大な権力を持つ1つの個体」みたいなイメージを抱いてしまう気持ちも分からんでもないです。
「AIが支配する」…というとひどく語弊があると思いますが、これからどういう世の中になっていくんでしょうね( ◜▿◝ )

それでは、みなさま今日もよい1日を。