2015年・秋アニメの感想

すべてがFになる

前期のアニメだと「すべてがFになる」がとても面白かった。
案内役が浮世絵離れの理系脳で、ストーリーにおいて丁寧に感情や事件に関わる係数を取り払ってくれることでシンプルな愛の計算式や公式を読者に見出してくれてうんにゃら(適当)…ってタイプの話は結構好きなんだけどむしろ今回はそういうのやミステリ要素以上に、
小説の様にヌメっとまどろっこしいエロが印象的だった。最近萌えみたいな健康的・直接的なエロに触れ過ぎてて食傷気味だったからこの作品の幼女のヌメっとしたエロさとか彼女が与えてくれる背徳感は印象に残ったなぁ。

ヤング・ブラックジャック

あと最終回シリーズでもう一印象深いのは「ヤング・ブラックジャック」かな。
原作愛が本当にパネぇなぁって思ったし、
僕は個人的に1960年代を扱った日本とかアメリカの映画がとても好きなんだけど、
1960年代のあの時代の行き場のない強い強いエネルギー感がよく表現できてたと思う。

おそ松さん

あと何といってもおそ松さん(作品は継続中)は外せなくて、
おそ松さんと構造主義というテーマで語りたいんだけど語ったら多分長くなるからやめる。
ただ結論だけ言うと偏差値低い俺から言わせると頭のいい観賞の仕方をしてる人が多いな~って思うんですよね。

シーン一つ一つに意味を見出しその意味をさらに連続性が保たれるように繋ぎ内部で完結するように…つまりストーリーとして解釈をしないといけない。特に頭がよさそうな人たちって意味的・物語的な連続性が断たれてしまうことにある種の恐怖感のようなものを持ってる人もいると思うんだけど、
馬鹿な俺から言えばアニメの感想なんていうのは十人十色でいいと思うんですよ。

国語のテストじゃないんだからこう解釈しなくちゃいけないなんて事は無い。
例えばその作品が社会や文化・昔話・事件等の外部との間に構造的な連続性を見出したり、
お約束ともいえる文法的連続性に酔ってみたり、
単純な肉体的連続性に魅了されるのもいいと思うんですね。

個人的に十四松回が1話の配信停止騒動と構造論的にかみ合っているっていう感想は面白いと思ったし前期OPに構造的な解釈を加えてみるって話がとても好きで「ふーん。」って聞いてた。
(これが意図的だったらスタッフ策士だよな…。)

特に映像メディアはメタファーが常に言語的に変換できるとは限らないし
それどころか意味的に変換できるとも限らない訳で、
たった一つの意味を見出す必要なんてない。
結論が無いと不安な気持ちもわかるけど頭でっかちにならず好きな作品をみた時に心が揺さぶられるその感覚を大切にして欲しいな。

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