アニメおそ松さん第9話「恋する十四松」が面白かった話。

「1話及びお蔵入り作品」との関連性

アニメの感想なんて視聴者自身の背景もあるんだし100人いたら100通りでいいと思うのでこういう解釈が出来なかったら悲しいとかそういうんではないと思うけど、
その構造的部分に着目して「1話のお蔵入り事情」と絡めてるのはすごく面白いなぁと思った。
特に女の子がお蔵入りになった作品のメタファーってのは結構俺の中でハマるし、
それを主軸にした構造的な解説も非常に面白いなと思った。

構造的な分析と物語的な分析

とかくオタクは頭がいいから作品のストーリー的な連続性に着目しがちで、
どうしてもストーリーとして辻褄が合うように解釈したがるけど、
視界を狭めてそこばかり目をやってしまうと作品が持つその構造的な連続性や肉体的な連続性をとりこぼし、
作品を楽しめなくなってしまう怖さはあると思うかな。

特に映像っていうメディアの優位性というのはある意味を持つシーンとシーンがぶつかり合う事によって生まれる全く新しい意味とか、
同様にして生まれる意味にすらできないものに識閾下が揺さぶられる快感にあると思う。

例えば僕CLAMPさんのxxxHoLicって漫画好きなんだけど、
みなしごの主人公が「夜爪を切ると親の死に目に会えない」って迷信の意味だけを解釈して親がいないから別にいいやって夜に爪を切るんだけど…まぁ、この後は漫画読んで下さいなんだけど、怖いトラブルに巻き込まれるんだよね。

特に昔話や教訓説話はその意味よりも構造が重要なのが顕著で、
例えば桃太郎で彼が鬼退治に行った理由やこぶとり爺さんのこぶがとれた話は物語的連続性よりも
「親の元を旅立ち成長して帰ってくる」「正直者は得をし、嘘をつけばひどい目に合う」という構造的連続性が大事になる訳だと思うんです。

他には昔話でもアリスとかは社会規範構造を逸脱した点に面白さがあると思うし、
最近だとマッドマックスとかは物語よりもその構造や肉体的な連続性を楽しむ映画だよね。

構造的な分析と作家性・社会性

ただ冒頭のアニメの解釈は作品に作家性を結び付けている点で注意が必要で、
本当はさらにこの話に無理矢理こじつけて作家論と作品論をミックスしている文豪ストレイドックスって漫画とやたらと作品愛を主張したがるレイヤーの相性の悪い部分を語りたいんだけど風邪気味なので寝ます。

個人的には漱石の作品は正統派(異議はは沢山あるだろが)で近代文学のルーツ感はあるけど、
作家の漱石自身は変人中の変人だと思うよ。

付け加えるならおそ松さんへの解釈への批判ではないけど、
作品における作家論的な批評というのは音楽における絶対音感みたいなもので贅沢な能力だなと低偏差値の俺は一方では思うかな。

だから頭カラッポにするのも大事。
他に特に結論とかは無しです。

興味深く読ませて頂いた記事。【衝撃事実】アニメおそ松さん第9話「恋する十四松」の本当の本当の本当の意味を解説

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